『ひとり暮らし』
を始めたのはいつのことだろうか。
20代の時だ。私は家族と暮らしていた家がまた引っ越しー?の時に初めて家を出た。
出たからと言っても行く所がない。
家も決まってない状態で出たのだった。
しばらくはまんが喫茶に泊まったりしていたが、金の心配をして、数少ない友人や当時の彼女の家なんかに泊めてもらいながら、日雇いバイトをして10万貯めた。
たったの10万で引っ越しを考えていた私は、いくつか不動産屋をまわったが、敷金礼金を合わせると軽く10万を超えてしまう物件ばっかり。(今思えば当然なのだけど)
最後に行った『エイブル』で、
「日本語が通じればどこでも良い❗」
と泣きついたら埼玉県の武蔵浦和と言う町の物件を紹介してきた。
敷金と前家賃合わせても9万で済む計算となった。
もっと厳密には時間粘れば東京で物件あったと思うが、即入居で、ある程度広いと言ったら、そこの武蔵浦和の物件しかなかったのだ。
そして1月の雪の中、キャリーバッグを引いた私は武蔵浦和駅から20分歩く新居へと向かった。
初めてのひとり暮らしとあって、電気会社、水道局、ガス屋への手配は面倒だと感じた。
そして東京の世田谷区で人生の大半を過ごしていた私に待ち受けていたのは…
とんでもないカルチャーショックだった。
埼玉県の皆さんには悪いが、なにもなくても、バスの乗り方、運賃の払い方までがすべて違って、
「すげぇ、こえー」
こんな言葉しか出てこなかった。
武蔵浦和と聞いていたが20分もあるけば、ほぼ西浦和駅の方が近いのだ。
西浦和もなんにもない。
でも自分の部屋を持ったと言う喜びの方が強かった。
駅前のマルエツで食材を買って、自炊をし、
友達にもらったどんぶり茶碗にご飯大盛りにして食べた。
翌日から町を散歩してみた、公園、交番、コンビニ、スーパー、薬局、それらを覚えるように。
浦和駅まで歩いても行った。「ここが浦和かー」などちょっと感動しながら。
別の日に浦和を歩いてたら、浦和レッズのサポーターから「イェーイ!」と肩を叩かれたことがある。
浦和はそんな町。公園のベンチもサッカーボールの形をしていた。
何せ埼玉で駅から20分ってだけで友人は遊びに来ない。
その頃から私の不眠症は始まり、10時の『ちい散歩』を観てから寝るというスタイルへ。
結果5年は埼玉県で過ごしたと思う。
私の血となり肉となった町。
武蔵浦和。
今ではもうさいたま市に住むことはないと思うが、良い経験をさせてもらった。
初めて家族の有り難みも知れたし、少しは自立できたとも思う。
そしてその後、東京の荻窪に引っ越すのだが。。
誰かから聞いたことがある。
『武蔵と付く地名は昔何も無かった町だと。』
今でも何もねーよ❗
そんな武蔵浦和が懐かしく思う今日この頃です。
ではー。